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6/4の2 広島城メモリアルデー(広島市中区)

2017.07.19(04:29) 6808

100名城のスタンプ帳を買ったので、早速、地元の広島城に登城。

天守閣は原爆で投壊しており、戦後の再建。

鉄筋コンクリートの城型の歴史博物館である。

復興博覧会の関連建物らしく、戦後復興のシンボル的な城らしい。

(なにせ、ぬぬ太の生まれる前だ)


元々は、戦国武将として有名な毛利元就の孫毛利輝元が築いたお城。

もっとも堀などまで完成したのは関ヶ原の戦い(西暦1600年)の前年らしく、毛利は城ができるや転封であった。


☆広島城☆

丁度、メモリアルデーで、兜かぶりなどの、イベントをやっていた。

切り絵作りや、鯉の糸登りなどの工作コーナーもあり。

娘は、オール参加していた(苦笑)。

☆火縄銃☆

クイズラリーもあり、午後から半日、がっつり楽しめるイベントでした。


クイズをしながら、展示を見て回り、広島城の歴史も勉強。

毛利に続く、福島正則の時代には、小形、三次、東城、鞆、神辺、三原に支城が置かれ、現在の広島県の県域の支配体制が整ったようであった。

福島正則と言えば、ゲーム戦国無双4で、映画バッドボーイズのキャラのような、やんちゃな造形だったのを思い起こす。

福島正則 

コーエーテクモのイメージする広島人って、あーゆーヤンキー系なのかも?

まぁ、ヤクザの町のイメージが、強いしなぁ広島市。

☆プチ弓矢☆

福島改易後に入って幕末までは浅野氏。

豊臣政権の五奉行の一人浅野長政の息子長晟が、広島城の城主となった。

子供の頃食べた銘菓「浅野四十二万石」を、ふと思い出す。

大学の在った千田町の天光堂の和菓子だったよなぁ。

☆広島城下(ジオラマ)☆

去年、広島城のプラモを作ったので、なにやら親しみの持てる広島城。

さて、次はどこのお城に行こうかな。


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5/29の3 今治城(愛媛県今治市)

2017.07.12(21:53) 6799

久しぶりに、今治城に登城。

堀の水が海水という海城。

ボラやスズキが泳いでいると看板。

☆藤堂高虎像☆

初代の城主、藤堂高虎の銅像があった。

爺さんがウマに乗っているという感じ。

娘は、戦国無双4のイケメン武将との違いに違和感を感じていたようだ(笑)。

☆今治城☆

妙な位置に復元された、鉄筋の天守閣。

史実にそっていないせーか、いまいち城ヲタには、評判が悪いそーだ。

天守に登ると、枡形虎口がよく分かる。

築城の名手の手になる、守りの堅固な城だ。

天守内は、ごちゃまぜ博物館と化していた。

眼下に神社も見えたが、そのあたりが本来の天守閣の位置らしい。

併せて、櫓巡りのスタンプラリーにも参加。

櫓ごとに小美術館・博物館となっており、これも楽しい。




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3/26の7 吹屋銅山笹畝坑道(岡山県・高梁市)

2017.04.01(09:08) 6717

最後に吹屋銅山の坑道に行く。

ちょっと観光疲れしてきた。

☆吹屋銅山笹畝坑道☆

娘はヘルメットをかぶってノリノリ。

まぁ古い町よりは楽しいのだろう。

銅山の坑道に入っていく。

なんかマリオカートのコースのような風景。

トロッコはないけれど。

ピカピカ光る壁面を見ながら坑道を進む。

昭和なぬぬ太は、脳内を川口探検隊のテーマがリフレイン。

洞窟って川口探検隊だよなぁ、水曜スペシャルの。

暫く進むと、坑内には、坑夫の人形などがパラパラ。

江戸時代の銅山って、こんな感じで掘っていたのだろう。

夏に博物館で金銀銅については、いろいろ勉強したっけ。

ぼそぼそしゃべるT先生の話を思い出す。

まぁ吹屋や帯江など、岡山県内にはあちこちに銅山があったのだろう。

犬島に銅の精錬所があり、いまでは現代アートの美術館に転じているのだから。

自然史博物館の展覧会や、瀬戸内国際芸術祭などを思い出しながら銅山観光。

壁面には黄銅鉱や磁硫鉄鉱などが矢印で示されていた。

博物館で見るのとはまた趣が異なる。

しかし、坑道って、結構広いなぁ。

まぁ低い部分では頭を何度か打ったけど。

(ヘルメット必須だなぁ)

ぼちぼちっと坑道を登って出口へ。

坑道出口から山道を少し登ると露頭があった。

こーいった岩石の露出を見て鉱山を見つけるようだ。

山師とはスゴイものである。

ヘルメットを返却し、休憩所で鉱物を見る。

坑内で案内されていた磁硫鉄鉱や黄銅鉱。

いい地学のお勉強になりました。



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3/18の7 備中松山城展望台(岡山県高梁市)

2017.03.31(23:55) 6700

賀陽ICに向かう途中に展望台の看板があったので右折。

山道をズンズン車で登っていくと、備中松山城を観望する展望台があった。

早朝に訪れれば、雲海に浮かぶ山城を観望できるようだ。

さっき、あの山城に登ったのだなぁと、遠目に見て感慨。

高梁市街地もやや遠くに見える。

カメラのズームで、城を俯瞰。

いい城だなぁ。

倉敷に戻って、宿舎近くのドイツ料理店「ベルク」に行く。

玉ねぎとソーセージ入りのスープがめっちゃ美味。

娘の最近のお気に入りで、ちょこちょこ夕食を食べに。

☆ベルクセット☆

ソーセージとハンバーグとエビフライのセットを食す。

倉敷生活もあと2週間余。



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3/18の6 備中松山城(岡山県高梁市)

2017.03.31(23:51) 6699

さて、本日のメイン、備中松山城へ。

細い山道を車で登った後、狭隘路をシャトルバスで登る。

そこから更に山道をテクテク。

急登だ。

汗ばみつつ歩を進める。

15分位で、石垣が見えてきた。

山城感が漂っている。

娘は親たちを置いて、さっさと登っていく(困)。

振り向くと眼下に高梁川や城下町。

さっきまで、寺の庭を見たり、武家屋敷を歩いたり。

それが豆粒のようだ。

石組みは結構ワイルド。

そーいえば大河ドラマ「真田丸」のOPに使われたそうだ。

観光客が多くなったのって、そのせい?

☆備中松山城☆

やっと天守閣が見えてきた。

やっぱ山城はいいなぁ、趣があって。

案内の看板に復古図が描かれていた。

壮観だなぁ、難攻不落って感じだ。

さて、いよいよ天守閣に登城だ。

現存十二天守のひとつなんで、ちょっと格別な気分だ。

☆ヤマガラ☆

ヤマガラが、ぬぬ太達の登城を見ていた。

☆天守閣☆

天守閣の中は、山城なんで狭い。

地元の学生さんが作った紙芝居のビデオが面白かった。

この城にも、戦いの歴史があったのだなぁ。

なんか、久しぶりに歴史ゲームでもやりたくなったなぁ。

それとも歴史小説でも、たまには読もっかな。

娘はやや退屈そうで、小学4年生にはたんなる山登りなんだろう。

まぁ、歴史勉強するのは、5年生からだっけ?

登城心得の看板を読みつつ、山を降りる。

バスのりばに降りると、山城の絵図があった。

結構、登ったもんだと絵図をみながらふりかえる。



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3/18の5 旧折井家・石火矢町ふるさと村(岡山県高梁市)

2017.03.31(23:39) 6698

続いて、旧折井家に向かう。

☆旧折井家☆

屋敷に入るといきなり動くお侍の人形にビックリ!

建物の中にも、お武家様の人形。

なんか昭和っぽい、レトロな観光地。

裏の庭をテクテクとあるき、武具の展示されている資料館に。

さて、ぼちぼち備中松山城に向かおうかな。



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3/18の4 旧埴原家・石火矢町ふるさと村(岡山県高梁市)

2017.03.31(23:36) 6697

テクテク歩いて武家屋敷のある石火矢町ふるさと村に。

現存十二天守のひとつ備中高松城の城下町を散策。

最初に旧埴原家を見る。

閑谷学校を再興した山田方谷の資料館もあった。

備中高松藩の藩政改革は領民に語り継がれる素晴らしいものだったそうだ。

岡山に引っ越してきて、ちょっと歴史も勉強になった。

屋敷内には琴や籠など時代劇に出てきそうなものが展示されていた。

ぬぬ太の子供の頃は、水戸黄門や大岡越前、遠山の金さんなど、TVの時代劇が全盛だった。

最近は、そーゆー番組もなくなったんだろうなぁ(淋)。

☆旧埴原家☆

古い武家屋敷を見つつ、子供の頃見た時代劇を思い出す。



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2/25の2 備中高松城跡(岡山市)

2017.03.13(20:44) 6661

午後から、高松城址公園に出かけた。

戦国時代の古戦場跡が公園になっているのだ。

☆水攻め図案内板☆

有名な羽柴秀吉(豊臣秀吉)の備中水攻めの攻防。

ここが戦場だったのだなぁ。

駐車場の側には足守川を堰き止めた堤の高さを示す案内板が在った.

小学生の娘は脇に立ってみて、高さを実感していた。

☆資料館☆

公園内には小さな倉風の資料館が在った。

ビデオを見ながら、備中高松城の水攻めを学習。

☆清水宗治銅像☆

館内には宗治公の銅像も在った。

武士の中の武士と誉れ高い殿様だ。

城兵のために腹を切ったのが、美談として伝わっている。

本丸跡には辞世の句の石碑。

「浮世をば今こそ渡れ武士の菜を高松の苔に残して」

うーん、秀吉が武士の鑑と絶賛したとか。


向かいに大型の説明板が設置され、戦国時代でも有名な戦いの様子が覗われた。

☆首塚☆

秀吉に差し出された首は、最終的には首塚に。

本丸跡に首塚が移されたのは後年らしいが。

地元の人からも、後世も慕われる君主だったのだろう。

☆胴塚☆

胴塚も城址公園の近くにあった。

☆本丸跡☆

少し離れてみると、本丸跡が丘のように見える。

城攻めの時には、島のようだったのだろう。

付近の池には宗治蓮が植えられているそうだ。

残念ながら花の季節ではない。

茎だけが、ニョキニョキ。

☆宗治公自刃場所☆

公園の駐車場近くに自刃場所。

池の上に船を浮かべて切腹するシーンをよくドラマで見る。

この辺に船が止まったのだろうか?

それとも船上の切腹は、TV的フィクション?

☆ごうやぶ☆

近くの樹木の下に祠が在った。

行ってみると、宗治公切腹後、殉死した家来2人が刺し違えた場所らしい。


秀吉の大返しの前にも、いろんなドラマがあったことが感じられる。

戦国とは、ドラマチックな時代だ。




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2/19の5 赤穂城跡(兵庫県赤穂市)

2017.03.12(20:44) 6653

城好きなぬぬ太、久しぶりに赤穂城跡に。

☆赤穂城☆

大石神社の直ぐ側から、城壁が続いている。

☆大手門☆

大手門で、記念撮影。

なんちゃって義士気分で、観光中。


続いて、赤穂市歴史博物館で、赤穂義士の紹介ビデオなどを娘に見せる。

以前住んでいた三次市は赤穂義士縁の街なのだが。

まぁ、幼稚園や小学1年生では、あんまり覚えていないかも?

浅野家の城下町なんだけどなぁ、広島市や三次市は。

☆二の丸庭園☆

久しぶりに再訪すると、随分、復元が進んでいた。

史跡公園としても美しい。

☆紅梅☆

☆白梅☆

本丸では、梅も咲いていた。

寒いけど、春だなぁ。

☆本丸門☆

本丸門の姿も美しい。

天守台に登ると、本丸御殿の跡が一望。

見晴らしが良く、ちょっとお殿様気分。



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10/23の2 定古墳群(真庭市北房)

2016.11.26(20:53) 6491

北房と言えば、ちょっと気になっていた大谷・定古墳群。

で、とりあえず、定古墳群を見学。

駐車場に石造りの立派な解説板。

7世紀の古墳群。

聖徳太子が活躍したり、大化の改新があった時代である。

西日本的には、白村江の戦いで敗れたダメージが大きい時代。

☆定東塚、西塚古墳☆

駐車場のすぐ側に定東塚、西塚古墳。

前方後円墳だと思われていたが、実は方墳✕2だったそうだ。

東塚のあと西塚が築かれたようだ。

真庭市教育委員会のパンフレットも面白い。

山道を登っていくと定北古墳。

東西21m、南北25.3m。

大塚・定古墳群の中では最大らしい。

が、山の中なので、全体像はワカラナイ。

近づくと石室があった。

中には陶棺が納められていたそうだ。


さて、ぼちぼち大谷古墳に向かおうか。



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10/1 松江城

2016.11.13(20:45) 6459

先日、プラモを作った松江城。

現存12天守閣のひとつ。

☆松江城☆

ちょっくら観光に着てみた。

城内には観光客向けの武将隊(笑)。

一緒に記念撮影などもしてくれ、楽しい。

☆天守閣☆

プラモと違って、実物は迫力があるなぁ。

娘が、プラモと形が一緒だと言ってた。

(当たり前だが…)

☆兜☆

天守閣内部は博物館になっており、武具などが展示されていた。

☆ジオラマ☆

城のジオラマもあり、松江の町の成り立ちなどを学習した。



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5/20 烏城灯源郷(岡山城)

2016.05.23(12:53) 6276

岡山城の夜間開館イベント「烏城灯源郷」に出かけた。
烏城公園の駐車場に車を止めたが、付近は暗い?
どーも、月見橋側からの来客動線のイベントのようだ(苦笑)。

☆岡山城☆
後楽園のイベント「幻想庭園」とのコラボなのだろう。
テクテクと烏城公園を突っ切って、天守閣方面に向かう。

後楽園から月見橋にかけては、ライトアップされておりキレイ。

城の入り口には揚羽紋の提灯がズラリ。
お殿様の家紋らしい。

場内に入ると、竹筒の灯りが美しい。

ほぼ満月で、明るい夜。

月見櫓と、蝶の形の竹のオブジェが面白い。

竹灯りを楽しみつつ、城内散策。

中段の散策を終え、不明門に至る。
昔はエライ人しか通れず、普段は閉まっていたのが、名の由来らしい(笑)。

☆不明門(あかずのもん)☆
開かずの踏切を連想する、ご庶民なぬぬ太。
まぁ城は封建時代の遺物だもんなぁ。

上段のライトアップもなかなかキレイ。
娘は庭を走り回っていたけど。

まぁ、暖かい時期の夜間イベントは、子供的には楽しいのだろう。

和傘のライトアップなど、見た目も良い。

テクテクと城の上段を散策。

天守閣前の広場に到着。
ここでちょっと休憩。

☆天守閣☆
天守閣は鉄筋の再建で、博物館になっている。
エレベーターで一気に4階に登り、そこから階段で6階展望台に。
岡山市の夜景が、一望でき、池田のお殿様気分。

階を降りて行くと、各鯱が金色で美しい。
金烏城とも呼ばれていたと説明板があった。
元々は宇喜多直家の築城と書かれていた。

城の七不思議の説明パネルなどを読みながら、階を下る。
展示品に本物の靭(うつぼ)があり、大きさにビックリ。
先日、観察した花、ハマウツボの語源になった道具だ。
矢を保管する道具のようだ。

退城すると、皐月が咲いているのが目に留まる。
後楽園の皐月も咲いただろうか?

再び石の階段を下り、不明門へ。

石垣が立派で美しい。
やっぱ城はいいなぁ。

天守閣を振り返り、美しさに息をのむ。
月明かりに映え、絶景であった。

駐車場に戻り、C4ピカソと、遠景の天守閣で2ショット。
なかなか楽しいイベントであった。

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5/2 箭田大塚古墳(倉敷市)

2016.05.08(19:35) 6243

タケノコ掘りの帰りに、竹林の近所の箭田大塚古墳に寄る。
岡山県下において、3大巨石古墳と呼ばれているものの1つ。

アオスジアゲハが飛ぶ、のどかな田舎道のわきに、どどーんと古墳があった。
看板がなければタダの丘。

説明書きを娘と一緒に読む。
三次に多い四隅とは形が違うからなぁ。
前方後円墳っぽく見えるが、円墳に張り出しがついたものらしい。

鉄扉があるが、窓から玄室が覗けた。
確かに巨石。

6世紀後半から7世紀の築造らしいが、どんな人の墓だったのだろう?
まだ吉備が、大きな力を持っていた時代だったのだろう。

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7/29の2 天が淵(島根県雲南市)

2015.07.31(18:03) 5807

ドライブがてら、斐伊川沿いを走るC4ピカソ。
大人4人、子供1人乗車で、荷物もゆったり積める。
クロスゴルフより、積載力は大。

ヤマタノオロチ伝説の舞台一級河川「斐伊川」。
まんがチックなおろちの看板があったので停車。
スサノオノミコトが降臨した船通山から流れる川で、製鉄が盛んだったようだ。
天が淵は、ヤマタノオロチ伝説の舞台との解説版もあった。

☆天が淵☆
稲(農耕)の神「櫛稲田姫」と、製鉄に寄る暴れ川は、元々は相いれない関係だったのかも?
斐伊川の天が淵が、ヤマタノオロチの生息地だったそうだ。
伝説の地の河岸に立ち、農耕と製鉄の歴史に思いを馳せた。

そーいえば下流には、八本の首を埋めた杉など、関連史跡も多かったよなぁ。
伝説って、何らかの史実を映しているものだろうし。

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6/5の7 徳川家霊台(和歌山県)

2015.06.15(18:37) 5730

高野山の観光スポットなんで、立ち寄った「徳川家霊台」。
徳川家康と秀忠を祀ったもので、なんか日光東照宮のミニチュア版って感じ。

☆徳川家霊台☆
彫刻などの飾りが豪華絢爛。
元々大徳院というお寺のものが、今は霊台だけが残ったそうだ。
さて、お参りも観光も終わったので、宿坊にテクテク戻る。

☆橋本警察署・高野幹部交番☆
途中にレトロな建物の交番を発見。
高野山らしさをちょっと感じた。

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10/21 「被爆ユーカリ」広島城二の丸(中区)

2014.10.21(17:18) 5333

朝からバタバタ慌ただしく、雑事が片付いたらもう昼だ(自嘲)。


☆広島城・表御門☆
城址公園をしばし散歩。
菊花展の準備が始めっており二の丸は慌ただしい。

☆被曝ユーカリ☆
先日、マンガ「ユーカリの木の下で」を読んだので、ふと足を止めた。
側の説明板を見ると戦後の台風で折れたりもしているようだ。
被爆者であることを隠しながら生きてきた父親が息子に被爆体験を語る話。
ユーカリとは軍人として死んだ、主人公の父親の比喩でもあったようだ。

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10/9 騎兵第五連隊跡(広島市東区)

2014.10.19(03:55) 5311

昼休みに所要で広島駅までMTBで出かけた。

駅裏の歴史の道を走っていると、陸軍の追悼碑があったので足を止めた。
横に小さく騎兵第5連隊跡の石碑があった。

日露戦争などで活躍した騎兵も、第二次大戦では捜索第5連隊に改編されたそうだ。
最後はニューギニアで飢餓にさらされ終戦を迎えたようだ。

このあたりに第二総軍司令部が置かれ、本土決戦の際には、西日本側の陸軍を指揮する見込みだったそうだ。
まぁ原爆が落とされたので、本土決戦にはならなかったようだが。
被曝しなければ日本軍は、沖縄戦のように本土で戦ったのだろうか?
まぁ歴史にIFをつけても仕方がないが。

☆白花萩☆
少し走るとシロバナハギが咲いていた。
多くの人が戦争で命を落としたのだなぁ。
花の白さに、儚さを感じた。

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9/30 昭憲皇太后御座所跡(広島市中区)

2014.10.02(23:48) 5282


☆昭憲皇太后御座所跡☆
広島城の本丸に礎石が残っている昭憲皇太后御座所。
明治天皇の皇后がいらっしゃった場所らしい。
明治期に女性教育などに尽力された皇后さまのようだ。

大本営があった場所なんで、いろいろ史跡があるようだ。
身近な広島城跡も、近代になっての史跡がちらほら。
日清・日露戦争の軍事特需で、広島は大きく発展したのだろう。
戦争とはある種の経済行為の側面を有しているのだろうし。

☆キンモクセイ☆
そんなことを考えていると金木犀の香りがふわっと。
役所の駐輪場の側にも植わってたよなぁ。
いい香りだ。
さて、ぼちぼち午後の仕事を始めようかな。
(研修員の起案指導は、ちょっち頭がいたい…まぁ入庁3年め位ってあんな感じだったかな?)

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9/3 「広島城石垣」法務総合庁舎前(中区)

2014.09.03(20:55) 5224

昼休みに、お散歩。
法務総合庁舎前に石垣?
看板を読むと、庁舎の建て替えの際に出てきた広島城の石垣の石を展示しているようだ。

☆広島城石垣☆
まぁ、官庁街のあたりも、昔はすべてお城の敷地だったんだろうなぁ。

そういえば、今日は「ドラえもん」の誕生日だ。
ドラえもんの秘密道具で過去に行けたら、上八丁堀界隈を、お侍さんが歩いているのに会えるかも?
昔の役人も、タイヘンだったのだろうか???

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6/22  栄草原一号古墳(広島市佐伯区)

2014.06.23(06:27) 5060

妻を登山に送ったついでに、以前から気になっていた栄草原一号古墳に行ってみた。
佐伯区運動公園内にある古墳。

☆栄草原一号古墳☆
土砂が流れ、石室むき出し。
円墳の面影は乏しい。
娘が「お父さん、この古墳ショボイねぇ」などと言い始める。
まぁ三次市のように何千もの古墳の上に街ができてるほうが、不思議なのだが。
でも、子供は容赦無いなぁ(苦笑)。

そばの案内板も薄汚れており、古代史マニア以外は、誰も来ない場所なのだろう。
古代には海だったので、広島市に古墳は乏しいのだろう。

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6/2 歩兵第十一連隊跡

2014.06.04(07:31) 5014

合同庁舎の西側にある歩兵第11連隊跡の石碑。
側に門柱も建っている。

☆歩兵第11連隊☆
広島に常駐した歩兵隊らしい。
石碑を見ると「萩の乱」「西南戦争」を鎮圧したようだ。
まずは不平士族制圧の内戦で活躍し、その後は日清・日露戦争で活躍したそうだ。

広島が軍都で華やかだった頃の、連隊なのだろう。
第二次世界大戦で、歴史を閉じたようだ。
たしか病院船で撤退し、不名誉な幕切れだったよなぁ。
そんな撤退をせざるをえない前線の歩兵は、ある意味不幸である。
まぁ、いつの時代も、下っ端は、国に翻弄されるものかもなぁ。

石碑の前で、ふと昔読んだSF小説「スターシップ・トゥルーパーズ」を思い出す(邦題なんだったけ?)
ハインラインの小説だが、軍隊における歩兵の位置づけがよく分かる物語だった。
クモのような異生命と、機動歩兵が戦う話だったが、軍とはシビアであった。

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5/29の2 「広島城取水池跡」(広島市中区)

2014.06.02(02:15) 5005

先日、広島城の裏門(RCCの側)から堀を見ていると、水が湧きだしていた。
そーいえば人工的にポンプで循環させているんだよな(昔新聞で読んだっけ)
で、昔の取水池跡に行ってみた。

スーパーマルナカの裏の道を登って土手に出る。
すると取水池跡の古い看板(かすれた案内板)があった。
ここから本川の水を取水し、内堀に流し込んでいたようだ。

☆取水池跡☆
いまでは、なんの痕跡もない。
付近の堀も埋め立てられたようだ。

☆基町高層アパート☆
付近には高層アパート群。
そーいえば、以前良く通ってた中華料理店「シャチ」がこの付近に移転したらしい。
「四季」と店名を変え、リニューアルしたようだ。
そのうちランチ食べに来ようかな?

☆本川☆
この川も、堀の一部だったんだろうなぁ。
毛利時代の広島城って、そうとうデカイ平城だったようだ。

☆内堀☆
帰路、二の丸から本丸に自転車で向かう。
今ではパイプラインで本川から堀に水が来ているようだ。

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5/21 旧白島小学校跡地(広島市中区)

2014.05.24(18:26) 4985

広島に引っ越してきて、宿舎のある町の歴史をWikiって見た。
ぬぬ太の入居した宿舎のあたりは、旧師範学校だったようだ。
更に古い旧々師範学校は、職場の近くの東白島にあったらしい。
ぬぬ太の出身大学は、戦前のいくつもの学校の寄せ集めのようだが、地元では師範学校が母体と言われていた。
昔、大学の沿革をパンフレットか何かでも読んだっけ?

☆旧白島小学校跡地☆
職場の近くの「白島Qガーデン」に「旧白島小学校跡地」の石碑が建っていた。
戦後、西白島に移転した白島小学校の跡地で、沿革などが記されていた。
石碑の冒頭に、「東白島に白島学校(広島師範学校の前身)が建てられた」との記載があった。
つまり、この付近が、大学の発足地だったわけだ。

今では東広島市に移転してしまい、ぬぬ太が通っていた頃の、広島市内のキャンパスは無い。
まぁ大学のキャンパスなど点々とするものだろうし。
まぁ流転の起点は、ここからなんだと、ちょっと感慨。
明治時代に、ここで勉強していた学生らは、100年以上後に、名前を変えて学校が存続していると思っていたのかなぁ?
卒業後はまるで縁のない大学だが、いつか移転先の西条キャンパスに行ってみようかな?



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5/15 広島城表門(中区)

2014.05.15(18:24) 4975

お散歩がてら、二の丸の表門までテクテク。

平成に入って復元されたものだが、立派な門。
渡櫓部分に入ってみた。
中に太鼓櫓や多門櫓の模型があった。

そいえば、当初の広島城には二の丸はあったのだろうか?
元になった聚楽第も豊臣政権の崩壊時に、大きく壊されている。
広島城も福島正則の時代に大きく壊されたようで、当初の姿がはっきりしない城のようだ。
そーいえば「縄張り」等の展覧会が天守閣の博物館でやっていたなぁ。

☆トベラ☆
場内のトベラの木に白い花が咲いていた。
ちょっとRの強い、特徴的な花だ。
魔除けの木なんで、ちょっとぬぬ太も厄祓い気分。

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5/13 広島城天守閣礎石(広島市中区)

2014.05.13(13:00) 4970

昼休みに、城跡公園をお散歩。

☆カナメモチ☆
カナメモチの赤い葉っぱ越しに天守閣が見える。
まぁ原爆の後に建てられた鉄筋コンクリート博物館だけど。

☆天守閣礎石☆
公園内に天守閣の礎石が残っている。
聚楽第を模して作られた当初の広島城って、どんな城だったのだろう?
(毛利時代の広島城の資料は乏しいようだ)
豊富政権下で、西国大名として覇を唱えた毛利家の城なんで、それなりに壮大だったのだろう。

本丸の城壁を巡りつつ、古い城の姿など想像してみた。
石垣の上に登るとシロツメクサの花が咲いていた。
石の上に寝転んで「ロックリバーへ」を口ずさむ。
あらいぐまラスカルのオープニングテーマ。

シロツメクサの花を見ると、あのOPを思い出す。
子供の頃見たアニメって印象が大きいよなぁ。

そーえば娘が、シロツメクサのはちみつを買ってきてたよなぁ。
アカシアなどに比べちょっとクセがあるが、そこも美味。

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4/25の2 広島陸軍幼年学校跡(広島市中区)

2014.04.26(09:53) 4927

お散歩がてら、陸軍幼年学校跡までテクテク。
俳優の故「藤岡琢也」さんの母校。
ぬぬ太の小学校のころの、サッポロ一番みそラーメンのCMのおじさんだ。
「日本のオヤジ」って感じの俳優さんだったが、ぬぬ太も、すでにオヤジである(苦笑)。
みそラーメンを食べていた子供のころには、自分がそんな齢になるとは想像もつかなかったが?

☆広島陸軍幼年学校跡☆
RCCの裏に、門柱が残っている。
このあたりから白島小学校あたりまでが学校だったようだ。
中学生くらいの子供を陸軍のエリートとして純粋培養したらしい。
こーゆー史跡を見ると、軍事都市だったんだなぁと実感できる。
まぁ学校では近代史は教えないので、明治以降はぼんやりなのだが。
(最近は明治以降の歴史も学校で教えてるのかな?)

☆被曝クスノキ☆
側に被曝樹木のクスノキが立っていた。
この木は、陸軍幼年学校の子どもたちを見つめていたんだろうなぁ。
焼け野原のHIROSHIMAを生き延びた木と門柱に、歴史を感じた。

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3/30の2 尾崎山公園(三次市吉舎町)

2014.04.01(23:19) 4860

尾道松江線の三次~吉舎間が本日開通。
ところがIC入り口は閉まったまま?
よく見ると、午後3時開通であった(苦笑)。

☆南天山城跡(後方の山)☆
せっかくなんで吉舎町の尾崎山公園に行ってみた。
ライトアップされており、夜は国道からでも目立つ公園だ。

駐車場に車を停めると、南天山城跡の看板。
毛利元就の長男が饗宴の後変死したので、城主の和知氏が疑惑をもたれたとのエピソードがある城。
登山口と書かれていたが、道は荒れていそうであった。

☆尾関山の堀切☆
看板から少し登ると「尾関山の堀切」の案内柱。
江戸時代にお坊さんが切り開いた里道らしい。

☆ツバキ☆
付近をちんたら散策。

☆尾関山神社☆
山道を登って行くと神社があった。
このあたりは南天山城の出城だったとか和知氏の館だったとか。
諸説いろいろ。

神社裏の展望台まで行くと、眼科に吉舎の街が一望。
南天山城の城主も、ここから吉舎の往来を眺めていたのかもなぁ…。

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3/29の3 神原神社古墳(島根県雲南市)

2014.03.30(23:12) 4856

帰路、雲南市加茂町の神原神社によった。

☆神原神社☆
式内社で、出雲国風土記にも記載がある古社。
もともとは方墳の上に建っていたそうだ。

☆神原神社古墳☆
神社が移設される際、方墳の石室も移設保存されたようだ。

☆石室☆
ここから、先ほど出雲古代歴史博物館でみた三角縁神獣鏡が発掘されたんだなぁ。
史跡を訪ねると、博物館での展示が、多面的に理解できる。

ヤマト朝廷の力に、出雲王朝がジワジワ屈服したんだろうなぁ。

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1/2の3 高杉城跡(三次市)

2014.01.04(08:50) 4713

さて、初詣に合わせ、城跡も探訪。

この神社は祝氏縁の神社で、高杉城という城だったのだ。
鳥居の下に史跡の看板があった。

神社の周りに土塁が残っており、かって城だったことを彷彿とさせる。
ちなみにぬぬ太の尊敬する高杉晋作のご先祖は、この辺りと地縁があったらしい。
まぁ他の幕末の志士も、安芸高田市吉田町に苗字の起源となる地名が多く残っているようだが。
学生の頃に読んだ紀行文に、そんな記載があったよなぁ?

☆土塁☆

土塁にそって木が植えられていた。
森のように見えるのが、かっての城の形であろう。

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11/4 黒岩城跡(庄原市口和)

2013.11.05(02:22) 4586

庄原市の口和ICそばにある山城跡、黒岩城跡に出かけた。
道の駅に集合して、歴史学習しながら、城跡に登るイベントに参加。

黒岩山の登山口で、庄原市の教育委員会の方の説明や解説があった。
併せて収蔵品庫内の絵地図や、城主の位牌などを見学。
和泉氏の居城だったようだ。

城の郭が示された案内看板もあった。
「毛利元就縁の地・黒岩城」(300円)なる小冊子を、頂いたので、その図などを見ながら登城した。

スタッフの方の、アンパンマンのかぶりものに武士とのコスプレには、ぶっとんだ(笑)
視界が悪そうだが、被り物で、幟まで持って、山城に同行されたのには、びっくり!

二の丸まで急傾斜な道を登っていく。
案内人の、この辺りまで攻め上ると、弓矢が飛んできます…って説明は臨場感、満点!
気分は、城攻めである。

そうこうする内に、二の丸に到着。
ここには井戸や、山や城の名の由来と成った黒い岩があったようだ。

付近に植わっている矢竹の説明なども受ける。
竹を植え、矢を作っていたとは、驚きであった。

このあたりは毛利と尼子の激戦があった場所だ。
山城も少なくない。

☆アベマキ☆
アベマキの巨木が倒れていた。
デカイ木だったんだろうなぁ。
この界隈にはアベマキが多いようだ。

☆本丸☆
ついに本丸に到着。
山城を攻略した気分。

眼下に口和の町が見渡せ、戦略上、重要だったことが景色から分かる。
毛利と尼子の両軍が、川を挟んで、戦ったのだろう。

他にも歴史上のエピソードの紹介もあり、楽しい歴史散歩であった。

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史跡
  1. 6/4の2 広島城メモリアルデー(広島市中区)(07/19)
  2. 5/29の3 今治城(愛媛県今治市)(07/12)
  3. 3/26の7 吹屋銅山笹畝坑道(岡山県・高梁市)(04/01)
  4. 3/18の7 備中松山城展望台(岡山県高梁市)(03/31)
  5. 3/18の6 備中松山城(岡山県高梁市)(03/31)
  6. 3/18の5 旧折井家・石火矢町ふるさと村(岡山県高梁市)(03/31)
  7. 3/18の4 旧埴原家・石火矢町ふるさと村(岡山県高梁市)(03/31)
  8. 2/25の2 備中高松城跡(岡山市)(03/13)
  9. 2/19の5 赤穂城跡(兵庫県赤穂市)(03/12)
  10. 10/23の2 定古墳群(真庭市北房)(11/26)
  11. 10/1 松江城(11/13)
  12. 5/20 烏城灯源郷(岡山城)(05/23)
  13. 5/2 箭田大塚古墳(倉敷市)(05/08)
  14. 7/29の2 天が淵(島根県雲南市)(07/31)
  15. 6/5の7 徳川家霊台(和歌山県)(06/15)
  16. 10/21 「被爆ユーカリ」広島城二の丸(中区)(10/21)
  17. 10/9 騎兵第五連隊跡(広島市東区)(10/19)
  18. 9/30 昭憲皇太后御座所跡(広島市中区)(10/02)
  19. 9/3 「広島城石垣」法務総合庁舎前(中区)(09/03)
  20. 6/22  栄草原一号古墳(広島市佐伯区)(06/23)
  21. 6/2 歩兵第十一連隊跡(06/04)
  22. 5/29の2 「広島城取水池跡」(広島市中区)(06/02)
  23. 5/21 旧白島小学校跡地(広島市中区)(05/24)
  24. 5/15 広島城表門(中区)(05/15)
  25. 5/13 広島城天守閣礎石(広島市中区)(05/13)
  26. 4/25の2 広島陸軍幼年学校跡(広島市中区)(04/26)
  27. 3/30の2 尾崎山公園(三次市吉舎町)(04/01)
  28. 3/29の3 神原神社古墳(島根県雲南市)(03/30)
  29. 1/2の3 高杉城跡(三次市)(01/04)
  30. 11/4 黒岩城跡(庄原市口和)(11/05)
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